Gody's Diary

Thursday, July 27, 2006

住みたいところが見つかった旅 (Part 1)

日本から友人を招いて、2週間ほどバケーションでカリフォルニア州を堪能してきました。今現在はサンディゴ市に移り住んで2年経ったのだけど、同州内でまともにドライブ、もしくは、旅行をした事がなかったので、カリフォルニア州を知る上で、とても勉強になった旅になったし、 充実した2週間を過ごしたと思う。最近は仕事のほうが忙しくて、日記のほうもなかなかかけなかったりするほど、暇がない状態が続いているので、今回の旅は仕事を忘れるいいチャンスとなった。

今回一緒に旅をした友人はアメリカが始めてとあって、日本で売っている旅行案内本を買って、色々読み調べたようで、行きたいところがはっきりと決まっていた。これは助かる。「どこでもいいよ」と言う返事が一番困るので、行きたいところが分かっていたら、後はこちらで場所と金額の確認と、予約も必要であれば事前にできる。私は州内旅行だったら、私自身暇な隙を見つけていつでもいけるが、今回は友人の為の旅行なので、やっぱり彼女の行きたい所を回りたかったので、リクエスト通りの予定を立てて、友人を迎えた。

サンディエゴは私のアイデアで、行くべきところを案内した。彼女のリクエストではロスアンジェルスとサンフランシスコの旅行と言う事だったので、ロスにはサンディエゴから車で。サンフランシスコまではフライトで往復した。 ロスは行った事が数回あるので、私にとっては"魅力的な場所"ではなかった。友人にも初めから伝えておいた上で、5日間のステイとなった。ロスはまず歴史がない。観光と言うとそれなりの歴史がある場所をまわるもの。だけど、ロスは回れるような歴史がないので、やっぱり遊ぶ場所となる。買い物と、エンターテイメントと、美味しいレストラン! 買い物をする場所は友人のほうがよく知っていた。ロデオドライブの高級ブランド通りを、とりあえず端から端まで見て回った。私は万年貧乏なので、普通なら行かないお店ばかりなのだけど、 私のお金持ちジャパニーズフレンドは、口癖の様に「安いよ」「日本で同じ物が¥XXXするよ」と言って目をキラキラ輝かせて、私の家賃よりも何倍もするかばんを買おうとしていた。もちろん止めに入りましたとも!

ロデオドライブ以外にロバートソン通りと言う、これまた今日本で人気がある(らしい)Kitsonと言うフランドに立ち寄って、Kitson Kidsで店ごと買ってしまうのではないだろうか?と心配になるほど甥と姪へのお土産を買いあさっていた。確かにキュートな子供服がたくさん置いてあって、私もお金があったら妹(7歳)にこれも、あれもと着せたかった。他に買い物に来ていた人たちも、地元のお金持ちマダム風で、彼女たちも結構買っていた。以前ロスに住んでいた友人に聞いてみたところ、このロバートソン通りは普通にハリウッドセレブたちがウロチョロしている場所と言う事だったので、買い物をしない私は、それらしい人ウォッチングに夢中になっていた。ニコラス・ケイジが韓国人の普通のウェイトレスと結婚したように、私はひょっとしたらブルース・ウィルスと結婚できるかも♥と、ルンルン気分でブルースを待っていた。ブルースも、それ以外の有名な人も残念ながらいなかったけど、モデル風な人は何人かいた。 

ロデオドライブ近くのビバリー通りや、キャノン通り、カムデン通りにはたくさんの美味しいレストランがある。私はイタリアンレストランの料理の美味しさに、魂を奪われた。良くあるアメリカン・イタリアンとは違って、本格的なイタリアンで、日本人にも合う美味しさだった。私は自分の胃袋の大きさをはるかに超える量のこのイタリアン料理を、死んでしまう直前まで押し込めた。ディナー1回と、ランチ1回をこのエリアのイタリアンで食べた。両レストランとも外にテーブルが出ていて、とても良い雰囲気がでていたし、それぞれのデコレーションもレストランの個性をよく出していた。上の写真はランチを食べたイタリアンレストラン近くで咲いていた、世にもビューティフルなお花。名前は分からないけれど、気品溢れる閑静なエリアにふさわしい美しさだったので、つい盗み撮りしてしまいました。

つづく・・・・ 

**この旅で行ったレストラン情報は「住みたいところが見つかった旅」シリーズの最後にリストします。カリフォルニアに旅行予定の方はチェックして、行ってみてほしい。

Tuesday, July 11, 2006

私にできること

日本はリサイクル優秀国家だと思う。私が日本を出てアメリカに来たのはほぼ13年前なんだけど、物心ついた頃から、日本ではリサイクルをわりと徹底してやっていたと思う。一番印象に残っているのは、ゴミの収集に関した町内のルールだった。たしか、近所の人順番でゴミ当番というのがあって、当番になった人は、出されたゴミに燃えないゴミなんかが混じってないか、要チェックしていたと思う。テレビで見たのは、黙ってゴミの分別をしないで、何でも混ぜてゴミを出すリサイクル怠け者を叱るために、朝早くからゴミ置き場で仁王立ちして、監視している町内のお奉行様がいたりした。私の友人宅ではゴミの分別が細かく出来ていた。例えば、タバコのパッケージには、紙で包んである周りに、さらにビニールがパッケージを包み込んでいるんだけど、その紙とビニールも分けていた。その分別はすごいと思った。きっと、近年では更にリサイクルが進んでいるんだろう。とてもいい事だと思う。

そんなリサイクル徹底国で育った私はアメリカに来て、この国のリサイクルの遅れには、かなりがっかりさせられた。私の家族、親戚の誰一人としてリサイクルをしようとか、頭の隅で気にはしていると言った感じすら見せなかったのだ。町内の家庭には、それぞれゴミを出す大きなドラム缶ほどあるゴミ箱が与えられて、そこに一週間分のゴミを入れて、ゴミ収集日に家の前に出しておくと、トラックが空にしていてくれる。そのゴミ箱と一緒にダンボール箱ほどの大きさの箱が与えられているんだけど、空き瓶とか、ジュースのアルミ缶を入れて、ゴミの日に出す物だった。だから当然リサイクルをする機会は与えられていたにも関わらず、「入れても、ゴミ処理場の従業員がゴミを分けたりする訳ないでしょう」と言って、全てのゴミをぜーんぶ一緒に混ぜて出していた。最初は「この国だよ、地球を汚している真犯人は」と腹ただしく思っていた。

私がサンディエゴに引っ越してきて、この州は今まで住んでいたどこの州よりもリサイクルが進んでいるので、正直言ってホッとした。一番賢い方法だと思ったのは、プラスティックボトルや、空き瓶、缶をリサイクルセンターに持っていくと、お金と引き換えてくれる。大きな金額ではないけれど、ないよりましだし、そのお金でサランラップやゴミ袋とか買えるから、生活の足しにはなっている。これがカリフォルニア市民のリサイクルの動機になっていると思うし、リサイクル音痴が多いアメリカ市民の良い動機付けにもなったと思う。他州でもこれをやるべきだと思っている。

今週のオンラインのニューズウィークに、グリーンハウス効果についての記事が載っていた。これを読んで地球の事を考えて、生活環境にアイデアを取り入れて暮らしている人もいるんだなぁと感心させられた。ある人は母親をガンで亡くしたと、環境を考えるようになって、家中の電気の電球をエナジーセービングの物にかえたり、リサイクルを徹底して、一週間に10パウンド(約4.5キロ)もゴミを減らす事が出来たという。昨年はトヨタのハイブリッド車プリウスが飛ぶように売れた。今も売り切れ状態で、注文してから半年以上待たされている。ソーラー電力を実家に取り付けて、その効果に満足した人もいる。シカゴは環境保護都市で風力発電を取り入れているし、テキサスのオースティンの市民は、リサイクルを徹底して、1992年に1.14トンものゴミを排出していたのが、それを去年は0.79トンにまで減らす事が出来た。オースティンでは2001年から市民が風力電力を買うオプションが与えられた。今現在6%の市民が風力発電を利用している。2008年までには11%になる予定だとか。これは近年のガスの値上げで、値段が高めの風力電力との値段に、差がなくなりつつあるかららしい。

ガソリンもとうもろこしのオイルを混ぜて(Flex-Fuel)、車のガソリンとして使ったりもしている。これによって800,000ガロン(3.028.329リットル)ものガソリンを節約できる。ウォルマートはオーガニックプロダクトで金持ち層からの200ビリオンもの売上を狙ったLOHAS(Lifestyles of Health and Sustainability)戦略を考案中らしい。アルミホイルを洗って再利用する人もいる。家のお掃除はお酢とベーキングソーダだけでする人もいる。私も地球環境にやさしいことは、できるだけやりたいとは思っている。これだけ生活にケミカルが使われているし、頼っている部分もある。少しずつだけど洗濯では漂白剤を使わなくなった。食器洗い洗剤も半分水で薄めて使っているし、リサイクルもしている。家に送られてくる光熱費などの請求書も、紙がもったいないのでオンラインで送ってもらっている。一つアイデアがあるんだけど、スーパーで買うお肉、お魚など、スチロールのトレイに入って売っているけど、これを全部計り売りにして、しかも、客それぞれが自宅からお弁当箱を持参して、その中に入れて計り売ればトレイやビニールの無駄にならない。スーパーのビニール袋も、ホールフーズでもやっているように、持参の手提げに入れてもらうとか、できることはたくさんある。

私の父親が住むエリアは自然保護地区で、家の庭の小枝すら折ってしまうと、罰金が課せられる。自分家の庭なのに。家の概観のペンキの色は、自然にある色と同じグレー(岩の色)、緑、茶(木と土)のどれかしか許されていない。これは野生動物のことを考えたことでもあるらしい。公園の遊び場も全て自然に倒れた木だけで出来ているし、運動施設のプールのお水の殺菌は塩だけしか使っていない徹底ぶりだ。

こう言うふうに、個人から町内、企業、更には州で少しずつ環境を考えて、新しいルールができると、大きな差で結果がでることは間違いない。たとえお隣さんがしてないからと言って、自分もしないなんてできない。たとえ一人でもできることはしていきたい。皆さんには何が出来ますか?何かいいアイデアはありますか?

Thursday, July 06, 2006

独立の背景

7月4日は独立記念日と言う、アメリカがもっとも祝福ムードで楽しむ祭日がありました。個人的には休みが取れて、祭日を楽しんだので、満足した一日だった。独立記念日と言うと、「独立」と言う名前の通りに、イギリスの植民地だったアメリカが、イギリスから独立して、単独国家になった記念日で、毎年の風物詩になっているのは花火とBBQ(バーベキューグリル)だ。ま、BBQは夏の祭日には必ず出て来るので、この日が特別なわけではないけれど、花火は独立記念日(ジュライフォース)ならではで、お金をかけるゴージャスイベントなのだ。テレビやニュースで紹介される花火はワシントンDCのポトマック川が有名になっているけど、実はあちこちの都市で上げられる。DCの花火も、格地方の花火と同じく30分間上げられるんだけど、どこよりも豪華に見えるのは私だけだろうか?違いは、DCの花火の打ち上げには、日本から花火職人がヘルプに来たりする。やっぱりその辺花火の質に違いが出たりするんだと信じている。

ところで、ジュライフォースは花火とBBQ以外になければならない物がある。これが無いとアメリカのジュライフォースは語れないし、絵にならないというか、サマにならない。それはアメリカの国旗と、その背景に流れてくる国歌だ。何気なく用意される国旗と、何気なくバックグラウンドミュージック化している国歌だけど、この二つにもアメリカが独立を果たすまでのストーリーがあるのだ。

アメリカの国旗を始めて作ったのはベッツィー ロス(Betsy Ross)と言う女性だった。1776年の5月に植民地軍から3人のお客が彼女の家にやって来た。ジョージ ワシントン、 ロバート モリス、ジョージ ロス の3人が洋裁を仕事にしていた彼女に、アメリカと言う国(独立するであろう)の最初の国旗を作ってほしいと注文したのだ。ワシントンは独立軍の最高司令官で、後の初代大統領。モリスは当時の植民地で一番のお金持ちだった地主だ。最後のロスはベッツィーの後の3番目の旦那さまの叔父さん(..になった)だった。ワシントンは昔、ベッツィーに洋服を繕ってもらった事があったし、教会でも会っていた友人だった。独立戦争は彼女も含めた女性が独立運動に参加したからこそ、独立ムードが一気に高まって戦争になったわけで、彼女も戦争で2人の夫を亡くしたにもかかわらず、アメリカをサポートし、怪我をした独立軍人を彼女の家で手当てしたりしていた。国の為に、独立の為に誇りをもって縫った国旗が飾られたフィラデルフィアの独立記念館(後の国会議事堂)で、1776年7月4日独立宣言が高らかに読み上げられた。

国歌を作詞した人はフランシス スコット キイ (Francis Scott Key)と言う弁護士でした。彼の友人のウィリアム ビーンズ(Dr. William Beanes)が敵軍のイギリスに囚われた事を知って、友人を助けるためにボルティモア(メリーランド州)に向かった。キイはイギリス軍と、人質の開放をしてもらうための交渉をする事に成功したが、結局人質を解放してはもらえなかった。そこで、このボルティモアのフォート マックヘンリー (Fort McHenry)で両軍が激しく戦った。25時間の戦いのあと、両軍ともに、どちらが勝ったのか半信半疑で分からないまま、夜明けを待っていた人が多くいた。キイも夜だった事と取り巻く煙で、周りの状況を把握できずにいた。周りが静まり返って、視界が鮮明に見え始めた日の出前にキイが見た物は、誇り高く舞っていたアメリカの国旗だった。「アメリカが勝った!」 もうダメかも知れない、友人も死んだかも知れない...そんな不安な気持ちで迎えた朝に、国旗が見えた時の感動の気持ちを、詩にして書いたのが、今の国歌なのだ。

独立記念日でなびく国旗を見ると、見たこともないベッツィーが国旗をせっせと縫い上げている風景が思い浮かぶし、その周りで流れる「誇り高きアメリカの国旗を御覧なさい...」といった内容の国歌を聞くと、キイが感動している風景が、私の中でよみがえって来て、その時の感動を一人で体験するのが、私のジュライフォースなんです。こう言う歴史があっての記念日なんですね。みなさんも、日本でアメリカの独立とは関係ないと思っておられるとは思いますが、テレビでこの国旗と国歌が流れたら、この二人を思い出してほしい。きっと見方が変わってくると思いますよ。