独立の背景
7月4日は独立記念日と言う、アメリカがもっとも祝福ムードで楽しむ祭日がありました。個人的には休みが取れて、祭日を楽しんだので、満足した一日だった。独立記念日と言うと、「独立」と言う名前の通りに、イギリスの植民地だったアメリカが、イギリスから独立して、単独国家になった記念日で、毎年の風物詩になっているのは花火とBBQ(バーベキューグリル)だ。ま、BBQは夏の祭日には必ず出て来るので、この日が特別なわけではないけれど、花火は独立記念日(ジュライフォース)ならではで、お金をかけるゴージャスイベントなのだ。テレビやニュースで紹介される花火はワシントンDCのポトマック川が有名になっているけど、実はあちこちの都市で上げられる。DCの花火も、格地方の花火と同じく30分間上げられるんだけど、どこよりも豪華に見えるのは私だけだろうか?違いは、DCの花火の打ち上げには、日本から花火職人がヘルプに来たりする。やっぱりその辺花火の質に違いが出たりするんだと信じている。
ところで、ジュライフォースは花火とBBQ以外になければならない物がある。これが無いとアメリカのジュライフォースは語れないし、絵にならないというか、サマにならない。それはアメリカの国旗と、その背景に流れてくる国歌だ。何気なく用意される国旗と、何気なくバックグラウンドミュージック化している国歌だけど、この二つにもアメリカが独立を果たすまでのストーリーがあるのだ。
アメリカの国旗を始めて作ったのはベッツィー ロス(Betsy Ross)と言う女性だった。1776年の5月に植民地軍から3人のお客が彼女の家にやって来た。ジョージ ワシントン、 ロバート モリス、ジョージ ロス の3人が洋裁を仕事にしていた彼女に、アメリカと言う国(独立するであろう)の最初の国旗を作ってほしいと注文したのだ。ワシントンは独立軍の最高司令官で、後の初代大統領。モリスは当時の植民地で一番のお金持ちだった地主だ。最後のロスはベッツィーの後の3番目の旦那さまの叔父さん(..になった)だった。ワシントンは昔、ベッツィーに洋服を繕ってもらった事があったし、教会でも会っていた友人だった。独立戦争は彼女も含めた女性が独立運動に参加したからこそ、独立ムードが一気に高まって戦争になったわけで、彼女も戦争で2人の夫を亡くしたにもかかわらず、アメリカをサポートし、怪我をした独立軍人を彼女の家で手当てしたりしていた。国の為に、独立の為に誇りをもって縫った国旗が飾られたフィラデルフィアの独立記念館(後の国会議事堂)で、1776年7月4日独立宣言が高らかに読み上げられた。
国歌を作詞した人はフランシス スコット キイ (Francis Scott Key)と言う弁護士でした。彼の友人のウィリアム ビーンズ(Dr. William Beanes)が敵軍のイギリスに囚われた事を知って、友人を助けるためにボルティモア(メリーランド州)に向かった。キイはイギリス軍と、人質の開放をしてもらうための交渉をする事に成功したが、結局人質を解放してはもらえなかった。そこで、このボルティモアのフォート マックヘンリー (Fort McHenry)で両軍が激しく戦った。25時間の戦いのあと、両軍ともに、どちらが勝ったのか半信半疑で分からないまま、夜明けを待っていた人が多くいた。キイも夜だった事と取り巻く煙で、周りの状況を把握できずにいた。周りが静まり返って、視界が鮮明に見え始めた日の出前にキイが見た物は、誇り高く舞っていたアメリカの国旗だった。「アメリカが勝った!」 もうダメかも知れない、友人も死んだかも知れない...そんな不安な気持ちで迎えた朝に、国旗が見えた時の感動の気持ちを、詩にして書いたのが、今の国歌なのだ。
独立記念日でなびく国旗を見ると、見たこともないベッツィーが国旗をせっせと縫い上げている風景が思い浮かぶし、その周りで流れる「誇り高きアメリカの国旗を御覧なさい...」といった内容の国歌を聞くと、キイが感動している風景が、私の中でよみがえって来て、その時の感動を一人で体験するのが、私のジュライフォースなんです。こう言う歴史があっての記念日なんですね。みなさんも、日本でアメリカの独立とは関係ないと思っておられるとは思いますが、テレビでこの国旗と国歌が流れたら、この二人を思い出してほしい。きっと見方が変わってくると思いますよ。
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